第49話 : エッセイ
2011/2/24
夢路のフォスター
   あなたはフォスターの歌がお好きですか?そう、「故郷の人々」(スワニー河)や「オールド・ブラック・ジョー」・「おおスザンナ」・「金髪のジェニー」など、たくさんの歌を作ったアメリカのスティーヴン・コリンズ・フォスターの歌です。大きくうなずいてらっしゃるところを見ると、きっと何曲も口ずさめるのでしょう。いちど、合唱してみたいなぁ。とにかく、嫌いな人はめったにいないでしょうね。えっ!?ピアノも弾ける、ですって?アメリカ民謡の父、S.C.フォスターは1826年ピッツバーグで生まれ、1864年ニューヨークで37歳の短い生涯を閉じたのですが、全部で175曲とも188曲とも言われる歌曲を作ったそうです。
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   ところで1985年9月、今を去る26年昔になりますが、「ケンタッキーの我が家」と題するミュージカルが日本で上演されました。フォスターゆかりの地ケンタッキー州の人々が協力して設立したS・フォスター・ドラマ協会が上演団体。27年目というロングラン公演を終えて来日、なんと国外初の公演だったのです。出演者は総勢55人、東京・大阪・奈良で合計7回公演し、数々の名曲のなかから選ばれた52のメロディーがドラマと共に流れ歌われました。このミュージカルがその後もジャパン・ツアーを行なったのかどうか、寡聞にして私は知りませんが、もしもこの四半世紀日本公演がなかったのであったなら、セミプロ劇団という事情はあるにせよ、本当に残念なことです。
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   これは自分はラッキーだったと思うことのひとつなのですが、敗戦によって英語とアメリカ文化がどっと日本に入ってきた時が、英語を習い始める時期とピッタリ重なったことでした。コロンビア大学へ留学されたM先生のはからいで、大袈裟に言えばアメリカ各地から手紙が舞い込んだ時期がありました。男女を問わず同い年くらいで、いわゆるペンパルでした。ペンシルベニア、ウェスト・バージニア、ニュージャージー、ネブラスカなどの州から、しばしば写真を同封した航空便が帰宅した私を待っていました。朝の教室はそんなニュースが飛びかって大騒ぎ。文通がながらく続いた相手もいました。分厚い讃美歌の本を送ってもらったこともあれば、当時アメリカではやり始めたバブル・ガムを受取って驚いたこともありました。あの頃は毎日、スポンジのように、新しい英単語やアメリカ事情を吸収していたわけで、そんな中にフォスターの歌曲もたくさん含まれていました。
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   再び1985年9月に話を戻すと、私はチケットを張り込んだゆうぽうと簡保ホールの席で、それまで見たこともないほど大判のプログラム(今計ったら25.8cm x 36.4cm)を手に、夢見心地でこのミュージカルに浸っていました。終わりに近付いたころ、客席も共に全員で歌おうということになり、数曲を大合唱したのがひとつのクライマックスでした。祖先のアイルランドを思わせるメロディー、そしてシンプルで土の匂いのするプランテーション・ソングのかずかず。私は今も、大事にしているロバート・ショウ合唱団やロジェー・ワーグナー合唱団のCDに耳を傾けては、広大なアメリカの平原に思いをめぐらせます。この稿は、先夜ラジオがフォスターの特集をやっていて、蒲団の中の私を一時間コーフンさせたのが発端です。
               ( 2011/02/23 )
      
 



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