第77話 : エッセイ
2014/3/11

きたるべきもの

物忘れのひどくなった老母が、何かを思い出そうとしてしきりと考え込んだあげく、ついにあきらめたらしく、「夏がくれば思い出す〜」と口ずさんでいる ・・・ こんな話を新聞で読んで愉快に和んでから何年になろうか。
 
それは賀状の波が途絶えてしばらくした頃にやって来た。代筆者による、端正に印刷された一枚の寒中見舞である。数年前発症のアルツハイマーの進行により不自由な日常生活を余儀なくされており、向後年始の挨拶は辞退する、うんぬん。あいつが! と私はつぶやき、ついに来たか! とも思った。我々、背伸びを二度ほどすれば八十路に手が届くんだもんな、思えば遠くへ来たもんだ。
 
じっさい、この万幹、近頃の衰え方ときたら、あほらしいほど目に余る。音楽教室では二重奏のパートを間違えて演奏しかけたり、別の日には下駄箱で K さん(女性)の靴と間違えて履いて帰りそうになったり。いつぞやは我家の鍵を忘れて往生した.。事の顛末はこうである。ワイフに 「行ってきま〜す」 と言って家を出たまではよかった。ワイフはほどなく別途外出、その日の帰宅は遅い目の予定であった。万幹は帰宅途中の電車の中で鍵なしに気付いたのであったが、時すでに遅し。近所のカフェの奥まった席で手持ちの小説を読んで時間をつぶす羽目となった。

思い出すだに馬鹿らしいこの事件を顧み、且つは類似の愚行をも予防せんとして、先日万幹は一つの発明をなしとげた。仮に 「外出メモ台」 と名付けるこの発明品は写真の通りであり、玄関の下駄箱の上に置く。ルーペでもよく見えない方のために少しく説明すると、中央に鍵とあり、その左右に眼鏡だの帽子だの
チケット・傘・ドリンクなど 15項目ほどが書かれている。最後に思いついた扇子は、スペースがないので、中央下部に書いたら全体の座りがよくなった。ほかに、サラリーマン時代後期、万幹はネクタイピン収納箱も発明しているが、その詳細は別の機会に譲る。
この間、チャップリンの 「ライムライト」 を何十年ぶりかで観た。今は老いた自分が、抗いがたい老いと対峙する老優の名画にどっぷりと浸った2時間余だった。そのくせ、軽薄なる万幹は、「チョンボは続くよ どこまでも〜」 と口ずさみそうになった。
( 2014/03/11 )

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