第33話 : エッセイ
2009/11/13
追憶のマツタケ

この秋、マツタケはお口に入ったかな?そんなこと、どうだっていいじゃないかと言う人も、それそれ、実はねえ・・・とこだわる人もいよう。立冬も過ぎ、タイミングとしては一周遅れの感があるが、新聞記事に触発され、マツタケについて一筆したい。実のところ、食に関してはもっぱら Tommy's blog にのんびり書いてきたのだが、堅苦しいリクツをこねるせいか、評判はよろしくない。で、今回はこちらで読んでもらおうという寸法。新聞は 「マツタケ多国籍化 ーーー北欧や北米・アフリカから続々」 との見出しで、国産マツタケは 1941年の1万2千トンをピークに減少を続け、2007年には51トンにまで減った;代わりに主役に躍り出たのが海外産で、今や国内市場の95%を占める;とあり、世界の産地分布地図やら生産国別輸入量の推移グラフまで見せてくれる。
明敏なる頭脳をお持ちの貴台、ご明察のとおり、私が4年を過ごした北アフリカではマツタケを産し、且つ現地の人はこれを食用に供さないのである。執筆者の一人として、「日本企業の体験的アフリカ」 (福永英二編 1986年有斐閣) において、私はアルジェリアの章で「マツタケとワインの魅力」 なる一項を設けたくらいである。今、もっと膝をくずして話すなら、小なりとは言えひとつの事務所を預かって緊張の毎日を送る身は、マツタケの味にどれくらい息抜きを感じたことか。家族4人が食卓で 「10年ぶんは食べるぞー!」 とよく言ったのが事実なら、帰国後数年間は高価なこのシロモノを買う気にならなかったのも事実である。


今は知らず、1977年前後のアルジェ(アルジェリアの首都)は、生活環境もビジネス環境も、まことに厳しかった。邦人子弟の教育環境もまた然り。心地良かったのは、街の高みから見下ろす地中海の眺めくらいしかなかった。ここで11月から年明け頃までの短期間、マツタケにありつくことが出来た。とは言っても産地はアルジェ南方約70キロの山中にあって、我々は会社の現地人運転手に買付けを頼むことが多かった。この時期にアルジェに出向いてくる日本人出張者はラッキーだった。また、佃煮にして長期保存をはかる知恵者の奥さんもいた。とにかく、しみじみおいしかった。香りも悪くなかった。周囲の何もかもが厳しい毎日の生活の中で、一時期にせよマツタケを味わえると知った時のミスマッチ感を、そしてあの歯ざわりを、在留経験者の多くはいつまでも忘れないことだろう。
 
               ( 2009/11/12 )

戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送