第74話 : エッセイ
2013/7/14

可否放談

   
   選挙の話ではない。私は、ひそかに、コーヒーを味わいながら読みたくなるような名エッセイを書くには、やはりコーヒーを味わいながら書くのが一番かと大長考の末に考え至ったのだが、現実はまことにきびしく、脳ミソと舌と手がほどよくコラボすることは超困難なのであった。コーヒーはやっぱりそれらしい飲み方をしないといけないらしいし、この際のコーヒーは刑事コロンボの葉巻なみにはいかないようである。
 




   先日、獅子文六の 「コーヒーと恋愛」 (ちくま文庫) を読んだ。1962年から63年にかけて読売新聞に連載した 「可否道」 を文庫化するにあたり改題したそうである。岩田豊雄の本名で演出家でもあったこの人の作品を読むのは、今は昔、たしか新聞に連載されていた 「自由学校」 か 「娘と私」 以来である。コーヒー狂の51歳の男を中心に、43歳でお茶の間の人気女優と年下のパートナー、更にはコーヒー好きの仲間数人や一人の若い女優がくり広げるラヴ・コメディー・タッチの都会劇である。
   コーヒーも推理小説も大好きな私が岡崎琢磨 「珈琲店タレーランの事件簿」 (宝島社文庫) を読んだのは昨秋のことであったが、それからしばらくして、同じような雰囲気の漂う三上延 「ビブリア古書堂の事件手帖1〜4」 (メディアワークス文庫)が相次いで刊行されたのでどれも面白く読んだ。前者からはコーヒー入門、後者からは書誌学、みたいなものもオマケ的に教えてもらった。
 
   
 
   小説の手だれによる 「コーヒーと恋愛」と、新進気鋭による推理小説群との共通項をこの際コーヒーとするのは無茶かもしれないが、近頃 QOL がとみに貧弱になったことを痛感している私は、コーヒーをめぐるあれこれの話に人生のゆとりみたいなものを味わいたかったのだろう。そして、この両者を比べることにほとんど意味はないと思いつつも、やっぱり、人生経験に富んだ前者の作品の滋味豊かさが後者の謎解きの魅力に優るのであった。
   本質を離れた豆知識になるが、鄭という中国人が明治21年東京下谷黒門町に日本最初のコーヒー店を開業した、その時の店名が可否茶館であったという。「可否」なる当て字が用いられたのも、この時が最初。また、珈琲・可否のほかに可喜・骨非・過稀など多くの当て字があるそうな。ついでに今回気付いた文六先生の文の特徴のひとつは、考えてる・持ってる・立ってる・などが無数に出てくることである。
   「コーヒーと恋愛」 からは、今では使われることが少なくなったことば(単語)も山ほど見付かった。所望する・WC・盛宴・来衆・新例・洋行・細記・私心や利心・余慶などなど、色あせ、または亡んでいくのを見るにしのびない言葉たち。いぶし銀のような作品を味読したからには、どんどん使いたいものだ。
 
   
 
   コーヒー豆が高騰してもコーヒー党は世にあふれている。バルザックは大変な愛飲家で、日に50杯飲んでモリモリ仕事したという。一方、コーヒーを淹れる時、豆をきっちり60粒数えたと言われているのはベートーヴェン先生だったか。そういえば、J.S.バッハには 「コーヒー・カンタータ」 (BWV211) というユーモラスな作品があって、コーヒー中毒気味の娘とそれをなおそうとする父親のやりとりが面白いそうである。(宮本英世 「名曲とっておきの話」 音楽之友社)。・・・ そういえば 「コーヒー・ルンバ」 もある。映画でコーヒーがうまく生かされている作品は多いが、中でも、「かもめ食堂」 では小道具として巧みに使われていた。
   ここまで読んで、コーヒー愛好家はツバを飲み込んだのではなかろうか。万幹も喉の渇きを覚える。で、次は何という本を読むつもり?と訊かれるならば、それはたぶん、アガサ・クリスティーの 「ブラック・コーヒー」!
 
( 2013/07/11 )

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