第73話 : 書評
 
2013/4/25
「音楽の落とし物」
 
  あー面白かった。中村メイコの旦那さん神津善行さんの力作 「音楽の落とし物」 (講談社1980年12月3日第一刷発行)。ところどころに著者自筆の楽譜があるほか、おおば比呂司の挿絵が随所でなごませてくれる。
  
  1977年6月から1979年2月まで 「週刊朝日」 に連載した音楽コラム 83回分を1冊にまとめたハードカバー本である。新しくもなんともない。どころか私にしては珍しく古本で、数年かもっと前有楽町の古書店あたりで買ったままになっていた。直ちに読まなかった理由は、筆者にはちょっと申し訳ないが文章に漢字があふれていて読みづらいと感じたことかもしれない。その上、この連載が進んでいた頃私は北アフリカに駐在していたので、「週刊朝日」は手元になかったのだ。なお、筆者のあとがきによれば、この連載は以後も続き、この本2冊分くらいの原稿がまだたまっている由だが、次々と刊行されたのかどうか、私は知らない。そんな事情があったにせよ、この本の新鮮さに変わりはない。さ、前置きがながくなってしまい申し訳ない、急いで本題に戻ろう。
 
  まず、巻頭の<御挨拶>がふるっている。「念の為に御注意   無理にお読み頂かなくても結構です。だいたい御挨拶ですから、面白い訳も御座居ませんし当人も、それ程力を入れて書いて居りません。義理堅いお方のみおつきあい下されば幸いです。著者拝」。上記がページの下半分を占めるいわば前口上で、めくると御挨拶本文とあいなる。そうして、「クラシック界に愛想をつかし、歌謡界に怒りを覚え、ジャズ界を嘆きつつの毎日は、楽しかろうはずの音楽が、今や背中の骨にくいこむ荷物と相成りて(以下略)」などと出てくる。
  
  「お金を借りるなら、トランペット奏者にかぎる」と音楽仲間ではよく言われるそうで、楽器性格論が数ページにわたって展開される。ハープとなると極端に女性的で、三船敏郎とか北の湖が弾く姿など想像も出来ない、とか、医者・学者の中にチェロを弾く人が多い、とか、ホルン奏者は際立って変人に見え、自分の親より楽器が大切という人が多い、と断ずる。こんな風に独断と偏見を総動員しておきながら、「・・・ではあるまいか」 だの、「・・・かもしれない」 だのとは滅多に書かず、さわやかな断定口調で持論を開陳するのが神津先生の真骨頂である。
 
  「音痴論」 ではヘルツとか統計のパーセンテージの数字も出てくるが、ヤジウマ根性一杯の私にはやはり、世界で最大の音痴と言われた女性声楽家 F.F.ジェンキンスの話が一番興味深かった。彼女のドラマチックな生涯をここで紹介するのは書評の仁義に反するので、ここでは触れない。
  
  それから 「音楽と盗作」 について神津先生は 「これほど不確実で曖昧なものはない。その証拠に、小生の知るかぎり盗作(著作権侵害)で有罪となった例は一件しかない。」 としながら、多くの紙数を割いている。又、1頁を使って、酷似した曲の比較を幾組か音譜で例示しているのが面白い。<ハバロフスク小唄> と <皆の衆> もその一例である。ところで著作権を国際的視野から見れば、昭和6年に来日したドイツ人プラーゲは実は欧州の著作権団体の代表であって、日本人は考えてもいなかった著作権使用料の取立てを始めたことから日本中大騒ぎとなったそうだ。プラーゲ旋風と呼ばれたこの事件の一部始終にはぐんぐん引き込まれる。
 
  落とし物だけあって、話はサティ、サリエリ、藤原義江、作曲家の収入、シュトラウス父子、サーカス、ハイドン、バッハ、音楽珍事、御当地ソング・・・と広汎この上ない。そして <休憩> に入るのだが、ここで肩の力を抜いたか神津旦那、<新版 「遺恨試合」> において草野球の喜びと悲しみ、醍醐味とシンドサを講談調で縦横無尽に語るのである。その面白さったらなく、私はこの部分が本書の白眉ではないかと失礼にも思ってしまうくらいだ。
  
  このあとも諸々のテーマで筆が進められる。曰く効用音楽、放送禁止の歌、指揮者、アントワネットのうた、音楽と習性・・・そうして終わりに音楽の落とし物大賞5曲が披露される。尤もこのコラムは 1978年の年末に書いたものゆえ大賞曲に今では多少違和感があるかもしれないと筆者は述べている。
 
        ( 2013/04/24 )
 
 
  





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