第72話 : エッセイ
2013/3/25

速水社長追憶

 
   日銀の新総裁が決まったこの春、その連想から速水優もと日銀総裁・日商岩井社長の思い出を書き留めておく気になった。が、その中味たるやまことに微々片々というべく、欧州出張同行の体験を除くと皆無に近いことからこれまで気が引けていたのだ。しかし、誰の言葉か知らないが、Life has all the material for a book. とも言うではないか。以下、のすたるじいじのそぞろがきである。
 

   1983年(昭和58年)の夏、速水副社長の欧州各地視察に当たって、当時海外業務部という管理部門にいた私がお供するよう仰せつかった。ところで <海図なき航海> という表現は今では広く定着した感があるが、私の知る限り、これはその前年に速水氏が書かれた 「変動相場制10年ーー海図なき航海」 (東洋経済新報社) に発している。そして今思うことだが、この本を出すことによって長かった日銀での <通貨番> の半生に一つの締めくくりをつけた速水氏は、畑違いの商社マンとしてそれまでとは別の目で広く欧州を見てみようと思われたのだ。
   
 


ブルガリアにて
   旅程も定まり、出発の日が近付いたころ、旅行で何か気をつけることはないかと秘書室に訊いてみると、この時間の成田発なら空港への車の中で鰻重を食べられるのが常であると。ーー 当日は天気も良く、後部座席に並んで鰻重を頬張ると私は緊張がだいぶ和らいだ。おかげでこの旅を通じてあちこちの空港で特別待合室の快適さにあずかったし、アンカレッジ空港では大蔵省の大物から名詞を頂いて大いに恐縮した。そして飛行中の機内ではファーストクラスまで出向いて、発信すべきメッセージの原稿を受取ることにしていた。
   東ベルリンをはじめポツダム、ドレスデンなど東独のいくつかの都市へも行った。悪名高いチャーリーズポイントを越える時はさすがに緊張した。歴史をひもとくと、ベルリンの壁が打ち壊されるまで、それからなお6年を要したことになる。
   一方、フランクフルトではこんなことがあった。副社長がブンデスバンク(西独の中央銀行)の幹部と再会して旧交を温められた際、それは居心地の良い庭園の四阿(あずまや)でお茶を楽しみつつのことだったが、面白いものを見せてあげようと言って副社長はポケットから出したマルク紙幣を私に見せ、ほら、このサインはこの方のだよ、とおっしゃった。横でブンデスバンクの親玉はニコニコしていた。
   後年、1990年ごろの話になるが、クリスチャンである速水氏は東京女子大クワイヤ主催の年末メサイア演奏会にご夫妻で出席されていた。役員をされていたに違いない。私達夫婦はさる知人の厚意でよく招かれ、毎回感激で上気した顔でサントリーホールをあとにしたものだ。
   そんな速水社長にとって、大切な祈りのひとつは次のようなものだったらしい。実はもっと整った詩形での立派な社長の文章に出会ってしまい込んだ記憶があるのだが、どうしても見付からないので、今のところは下記にとどめることにする。
   < 神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、自分に変えられることは変える勇気と、そしてそのちがいがわかるだけの知恵をお与えください。>
 
( 2013/03/25 )

戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送