第69話 : エッセイ
2012/12/5

77歳のゆううつ

 
 
〜 前口上 〜



   昔から77歳は喜寿と呼ばれ、人生五十年だった時代にはその長寿ぶりが大いに目出度いものとされたようで、現に筆者も社友会から早々と祝いの品をもらった。で、おかげをもってこのゾロ目の年をニコニコと過ごしているかというと、とんでもない、現実はすこぶる厳しいのだ。
   まず、顔のシミやシワはいうまでもないとして、髪がうすくなることおびただしい。どの帽子をかぶって外出すればよいのか、この冬のことを考えるとぞっとする。髪に劣らず足腰のおとろえも甚だしい。歩いていても自転車に乗っていても、皆さんはすいすいと私を追い抜いていく。おとといの深夜は便所に立って、2階の踊り場で尻餅をつき、その音でいたく妻を驚かせ心配させた。その一方で眉毛や鼻毛や爪の伸びるのが速いこと。ほかに、立ちくらみはするし、眼もかすみがちだし、<耳管狭窄症>の治療を受けたこともある。体重は思うように減ってくれない。つれて、反撥性というか反応力がにぶくなったのを痛感する。
   肉体の衰えは斯様なものであるが、もっと怖いと思わせるのが精神面の衰えである。物忘れはますますひどく、集中力は一時的に発揮できても持続することがかなわない。思考力・判断力・決断力・忍耐力・執着心・・・そういったものはすべて大いににぶった。日に日に意欲が減ずるため、新しく何かを始めることはほとんどない。始めても、ひたむきになれない。・・・とまあ、こんな嘆き節を書き連ねても何の役にも立ちそうにない。というより、書くだけ野暮である。読んでいる方に申し訳ない。
 
  


〜 三浦哲郎著 「白夜を旅する人々」 〜
   ここしばらく、この長編小説の世界にどっぷり浸っている。500頁をこえる新潮文庫本の重みを布団の中で両手に感じるのも、おそらく明日の未明に終わるだろう。
   では、何故、77歳のゆううつとこの大仏次郎賞受賞作とが結びつくのか? 手短に説明するならば、それは読書と寒気のせめぎあいなのだ。分厚い布団から外へ出ているのは頭部と両腕だが、真上ないし斜め上を向いて横たわっている関係上、両腕のパジャマの袖はかなりずり落ちる。これでは寒くて本が読めないので、昔流にいえば手甲のような、アームカバーなるものをはめている。長さ30センチあまり、薄手のニット製の筒状のもので、一方の端ちかくに一ヶ所切込みがあり、そこから親指を突き出すようになっている。そうすると10本の指だけが外気にさらされることになる。使うたび、私は100円ショップで買ったこのスグレモノのメーカーに心の中でお礼を言っている。
   三浦哲郎は私が敬愛する作家の一人であり、私は 「忍ぶ川」 をはじめとして多くの短編やら 「ユタとふしぎな仲間たち」 に魅了されてきた読者の一人である。死去を報ずる 2010年8月の新聞記事や自選全集完結祝賀会の様子を伝えた 1990年5月の新聞記事も大切にしている。そぎ落とされた簡潔な表現・清冽な叙情・私小説の迫力・東北の匂いと味わい深い東北弁・・・。
   いささか大袈裟に書いたかもしれないが、真夜中の寒気と小説の魅力とのせめぎあいも、もうすぐ終わろうとしている。
 
( 2012/12/05 )

戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送