第67話 : エッセイ
2012/9/26

夕映え



その一:
 
   用をたそうとして、しかるべき所で気張っていたら、力んだ拍子にその銀行の名がヒョイと浮かんだ。思い出せずにいたので、思わず苦笑した。近年はひらがなが銀行名にまで及んでいて、思い出すのに一苦労する。
   大学に入った年、はじめて銀行に口座を持った。ささやかな翻訳のアルバイトからわずかながらお金がもらえそうだったし、近所の町工場経営者の息子二人に家庭教師を始めたので、思い切って上本町の銀行に預金口座を開いたのである。真新しい通帳と、サービスにもらったプラスチック製の小さな貯金箱を手に銀行の扉を出るとき、チョッピリ誇らしい気分になったのを記憶している。
   翻訳というのは、忘れもしない、落花生の栽培法を英語から日本語に訳すもので、ピーナツ畑は生まれて以来見たことはなし、とんとイメージはわかなかったが、今にして思えば、昭和29年の日本には国造りの一助として新しい農業を広めようとする気運が満ちていたのだろう。
   一方の家庭教師のアルバイトは、師弟ともどもコックリ舟を漕ぐことが一再ならずあったけれど、大過なく進捗し、兄弟ともに志望校に入れたと記憶する。
   えっ? そんな思い出話よりもトイレに行きたい、だって? はよう、いっといれ!


その二:
 
オリンピックで国中が沸いた夏の夜
寝床から月が見えた。
南窓の金網ごしに
隣家の屋根の上で
中天をわたる月のさやけさ。
窓の手前のテレビでは
今しも五輪中継中ーーー。
 
「今様の風流さ・・・」
とひとりごちてから
私は寝返りを打った。
その三:
 
三鼓先生が送って下さったTシャツ
着るのは どうやら
この夏が最後になりそうです。
 
学窓を巣立って何十年も過ぎてから
何がきっかけだったか
再会がかなったのでした。
 
僕の 英語の神様だった先生
とがった鼻 キラリ光る眼鏡 歩き方
板書された英文字の かっこ良さ。
 
米国留学中も 僕達のことを忘れず
大勢のペンパルが生まれるきっかけを
作って下さった。
 
何十年を経てからの
新宿での何回かの会食を 先生は
ことのほか喜んで下さいました。
 
そうして 送ってくださったのが
金時山をプリントした
Tシャツなのでした。
 
亡き師を偲びつつ このシャツを
箪笥の引出しの奥深くに
しまうことにします。
 
 
 
( 2012/09/26 )

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