第60話 : エッセイ
 
電池時代
去年、兄が他界した。形見にもらった金の腕時計はずっしりと持ちごたえがし、肌に吸い付く感じが心地良い。が、電池が切れているので近所の時計・眼鏡店で交換してもらった。店主によれば3年はもつそうだ。生き返った時計を見つめながら、しかし、手巻きでないぶん味気ないというか、親密度が薄いように感じられ、心の中で兄貴に小さくゴメンと言った。
 
       
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 話はボタン電池の微弱な電流に発したが、今回は電気万能と言えるようなご時世について思いを致したい。後世の文明評論家は平成二十年代を振り返って、「電池の時代であった」 と言わないだろうか。十人に一人くらいはそう言うと思うよ、きっと。おそらく。たぶん。
  手っ取り早く言って、わが国のケータイ普及率は今や100パーセントを超えたそうである。電車やプラットホームでケータイを持っていない人を見つけるのはむずかしい。そんなケータイはみな小さな電池で動いている。又、この列島ではますます多くの家屋やビルがソーラー発電を採用し、そこでも蓄電池が活躍しているし、電気自動車もしかりである。自動車用に軽い蓄電池を発明すればノーベル賞は確実、といつか識者が話していたが、いつの間にか多くの問題が克服されてきたようだ。
 
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  ながいあいだ私達は用済みの乾電池を捨てていた。ボロボロになって塩をふいたようになった電池を捨てていた時代はかなり長かった。その後電池は見違えるように美麗となり、捨てるのが勿体ないとさえ思えるようになった。そうしてこの数年来、充電式の電池が大いに出回るようになったわけだ。
  一体我々は今の生活でどこに電池を使っているかと考え、チェックを始めると、驚くべき広がりに気付く。車やケータイは言うに及ばず、リモコン、デジカメ、シェーバー、時計、レコーダー、懐中電灯、各種プレーヤー、ゲーム機、チューナー、メトロノーム ・ ・ ・ 全く、今昔の感に堪えない。それゆえ、価格の当否を別にするならば、なんだかおずおずしながら用済みの乾電池を捨てていたことを考えるならば、やはり 「充電式バンザーイ」 と言いたくなるのである。
 
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  ラジオの深夜放送にながらくお世話になっている私は、充電した電池の寿命にニンマリする時がある。それは以前と比べるからだが、同時にこんなことも考える ・・・高齢者には不眠症が多く、そんな老人がますます増える日本だから、深夜放送のリスナーも増えるに違いない。携帯ラジオ愛好者にとって充電式電池は否応なしにいっそう身近な・親しいものになっていくだろう。
 
( 2012/02/27 )
 
 

 下の写真から 「ためる」 あるいは 「たくわえる」 を連想できるだろうか? 但し、電気を、ですぞ。

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