第31話 : エッセイ
2009/8/30

河合先生を偲んで

( PART 2 )




その三 ・・・・ フルートと先生
 
   河合隼雄とサインされたCD 「SOUND AND HEART」 にあらためて耳を傾ける。フルート独特の、牧歌的で人を癒すような音色が流れる。58歳の時に再開した大学以来のフルート吹きを、先生は71歳になってなんとCDに結実された。レッスンを受けながらの再開は還暦近かったわけだが、そんな年齢でも進歩することに先生は驚き、何事によらず、学ぶに遅すぎることはないと力説される。
   1時間ほどのCDの最初を飾るのは「七つの子変奏曲」で、先生が最も得意とする曲の一つの由。野口雨情の歌詞をひもとくならば、誰もが知る通り 「可愛可愛と烏は啼くの」 なのであるから、先生、カワイ、カワイのせりふがまず気に入ったのであろう ・・・ なんせ、日本うそつきクラブ会長なのだから。(先生曰く、この会の年会費は800万円。そしてダジャレは今や無形文化財=荒唐無稽文化財と)。
   あとで書くように、文化庁長官就任後も先生は講演・フルート演奏がセットになった 「響き合う音と心」 を続けられた。毎回満員の盛況は嬉しい限りだったが、官舎に住む先生はフルートの練習がなにかと制約されて大変だったようだ。あるときフルートを聞きながら、少し息切れされているような、と感じた自分が恥ずかしい。
 
その四 ・・・・ 憲ちゃんのおかげ   
 
   憲ちゃんは奈良育英中学・高校の同級生である。私の小学校のさる後輩が彼の遠戚だったこともあって、早くから親しく付き合った。野球部では強肩のキャッチャーで鳴らし、社会人となってからは読書やクラシック音楽や阪神タイガースを好んだ。酔った時以外は自慢したことがなかった。彼のような性格を男気いっぱいというのだろう。河合さんの本は全部持っている、と言っていた。憲ちゃんは、先生逝去後1年に満たない昨年4月、惜しくもこの世におさらばした。
   奈良の学窓を巣立ってからは先生にとんと無沙汰だった私に、四十数年を経て、河合さんと再会させてくれたのは憲ちゃんであった。先生と京大の後輩フルーティスト佐々木真さんとが組んでのレクチャー・アンド・コンサート 「第3回 響き合う音と心」 (1998/9/15)にさそってくれたのである。更に、コンサート後の懇親パーティーは河合ファンで埋まり、便乗した私は、来場していた谷川俊太郎さんとツーショットの写真を撮らせてもらったりした。その後もこのコンサートは河合ワールドを愛する人達に支えられて2005年9月まで、東京大阪計19回続いた。
 
その五 ・・・・ 響き合う音と心
 
   先生の場合、生来の読書好きと話し上手が矛盾なく結びついて見事に花開いた、つまり河合ワールドを作り上げたのではなかろうか。一方で音楽好きな感性は人の話に耳を傾けるすべを育み、カウンセラーに最適の資質となった、と思う。
   こちらは、ユング心理学の何たるかを解することも出来ないまま、しかし情緒的には河合さんに限りない親しみを覚えつつ、そしてその生きざまへの尊敬の中で、何十年を生きてきた自分だった。そして、幸運にも、先生の晩年のおよそ10年間を講演とフルートを聴き、著作に親しみ、同期の数人で長官就任や喜寿のお祝いもし、育英の思い出話山盛りの会食をする等の機会に恵まれたのであった。
   もっと生きていて下さったらよかったのに、と嘆けば、「ふたつよいことさてないものよ、っていいますわなあ」 と笑っておっしゃることだろう。
( 2009/8/30 )   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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