第55話 : エッセイ
 
2011/9/26

コインと私
  しばらく前、散歩の途中でいつものカフェへ寄ってコーヒーを楽しんだ。安くはないが、香りのよいブラジル物が大ぶりのカップから湯気を立てていて、店内の雰囲気やしゃれたホームページと共に気に入っている店だ。さて、その日、レジで精算を終えると、どうも光り方と手ざわりがふだんと少し違う五百円玉がおつりに混じっていた。よく見ると、南極地域観測50年、下に500円 平成19年、と刻まれているのが読み取れた。図柄は南極大陸の地図。そして片面にはかの太郎と次郎の勇姿が。「おっ、新しいコインと久々に出会ったぞ!」と私は小さく叫んだ。
  
   時をさかのぼることおよそ50年、私は大阪のさる商社で働き始めた。大学の卒論を出したあと、4月の入社までの二月ほどは、ン百円の日当が楽しみで仮勤務というのか、アルバイトのようなことをした。とりあえず席を与えられた所は綿糸布部アジア課と言い、課員は連日超多忙。なにしろ日本の戦後復興は繊維の輸出から始まったのである。そんなある日、来訪中の印度人バイヤーである女性社長をショッピングに案内するよう命じられた。確か大丸百貨店へ行き、ゆるゆると店内を見て回った。こまかなことは忘れたが、会社へ戻ったとき彼女がご満悦であったことは確かで、廊下で立ち止まると財布から何枚かのコインをつかみ出し、お礼よと言って私の手に握らせてくれた。
 


  その一部が上掲写真(釣鐘墨を用いた乾拓というものを試みたが、鮮明でなくて申し訳ない)最上段の3枚であり、驚いたことに円形のものはなかった!そしてこの時のこの驚きがその後の私のコイン集めの起点となった。後年、出張や駐在で海外を飛び回ることが激しくなり、とりたててマニアックにならなくても目新しいコインは続々と増えていった。だから、何冊もあるコイン・アルバムを開いてみても、金貨だの希少品だのは皆無に近い。アルバムがやたら重いこともあって、たまにしかページを繰らないが、さまざまな思い出が立ち昇ってくるのを私はいとしい気持でかみしめている。
( 2011/09/26 )

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