第48話 : エッセイ
2011/1/29

韓国と私
「冬のソナタ」は見送ったが、韓流テレビドラマには「宮廷女官チャングムの誓い」、「ファン・ジニ」、「イ・サン」の順に夢中で付き合ってきた。「イ・サン」があと3回ほどで終わりかと思うと、そのあとの作品がわからないだけに余計淋しい。韓国の時代劇には様々な魅力がある。これら3作に関して言えば、NHK出版発行の立派なガイドブックのおかげで、宮廷の組織・王室の歴史・貴族の思想・風俗習慣などの理解がずいぶんと深まった。又、色鮮やかな服装は、以前から琉舞の装いが好きな私には、同じ線上でチャーミングである。それから、あとで話すと思うが、音楽も好ましい。
   視覚の分野からということで劇場映画に触れると、何年も前から、小説「西便制」が映画化された「風の丘を越えて」や、有名な「春香伝」、それから「酔画仙」などに接し、それぞれから強い印象を受けた。5年前には「パッチギ!」がショックだった。最近では、ほんの数日前、「ハーモニー 心をつなぐ歌」を観て真っ昼間の銀座で涙腺が恥ずかしいほどゆるんだ。
       
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   ハングルとのなれそめは商社マンほやほやだった約半世紀昔に遡る。いずれ仕事上必要だからということで、外部から先生が来て、週一回だったか手ほどきしてくれた。覚えているのは、反切表の入口のクヌトゥルムプスあたりでうろうろしている私達に、「両班伝」の講読を始めたことだった。ビジネス環境がめまぐるしく変わり、この勉強は3ヶ月と続かなかったと記憶するが、以来ハングルは私に不思議と親しみを感じさせるものとなった。
   韓国つながりで私に近しいものは矢張り音楽だが、そこへ行く前に読書のことにもちょっと触れておきたい。というのは、数少ない読了本の中で、茨木のり子「ハングルへの旅」(朝日文庫)と金両基「ハングルの世界」(中公新書)は是非一読をお勧めしたいからである。後者の著者は、ハングル文字が世界で最も合理的な文字であることを力説している。
   ここで、K-POPを中心とする韓国の音楽に話を移す。詳しくは知らないまま、私も韓国ヒットソング集だのミン・ヘイギョンの「別離」だののカセットテープを買ってよく聴いた。やがてCDの時代になった。大好きな歌「J 」はカラオケでキーが合いそうになく、あきらめた。更に、リサイタルでキム・ヨンジャの歌の迫力にしびれ、李政美のコンサートにも誘われてよく行った。又、「イムジン河」・「アリラン」・「我らの願い」などのどれを取っても、切々たる思いがこもった名歌である。こういう曲を耳にし口ずさむと、この21世紀にあって、一つの民族が南北に分断されていることの不条理をあらためて痛感する。
 
   


   9月、夫婦で始めてソウルへ旅立った。連日、日焼けするほどの好天に恵まれた。3泊4日の短い旅だが、楽しみの一つは、数多い訪問先の中に水原華城(スウォンファソン)が含まれていることであった。上記「イ・サン」の主人公で1776年第22代の王位に就いた正祖(チョンジョ)が築いた壮大な都城の跡である。すぐれた王が夢見た新しい政治の中心地は、王の49歳という短命により花咲くことなく終わったが、広大な緑地がうねるそこかしこに多くの建築が散在し、王の高い志がしのばれた。門・台・楼・亭・堂・苑・館・軒といった字のつく建物の多彩さを十分味わう時間がなかったのは残念だったが、世界文化遺産として登録されているのも頷ける。
   別の日に明洞のCDショップで「イ・サン」のオリジナル・サウンドトラックが見つかり、私は驚喜した。「チャングムの誓い」(こちらは日本製)と共にマイ宝物となった。明洞では、おまけにミン・ヘイギョンのアルバムまで手に入った!
   帰国するなり右膝が痛み出し、生まれてはじめて整形外科で水(?)を抜きナントカ液を注入してもらい、毎日パップを貼った。思うに、ソウルの諸寺の石段の高さとツアーガイドの熱心な歩きと私の昂揚感とがないまぜになって、韓国旅行の甘く楽しい思い出に一匙の芥子がまじってしまったらしい。芥子?そうだ、食については別の機会に書くこともあろう。
 
( 2011/01/27 )
   

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