第45話 : エッセイ
2010/10/28

季節はずれ
  狂ったように暑い日が延々と続いたのがことしの夏だった。木製の机や書類までが手に熱く感じられ、私は30年ほど前のバグダッドの日々を思い出した。あの頃は、昼飯どきになると四、五人連れ立って、事務所に近いレストランまでぶらぶら歩きながら、車のボンネットの上で目玉焼きが作れるだの、時々雀が焼鳥になって電線から落ちてくるだのと話し合っては、噛みごたえするビフテキとキュウリとトマトを食する毎日であった。
 
  そう、この話は炎暑のイラクを思い出させるほど暑かった夏に書くべきだった。今になって、汗ばんだ日々を思い出しながら読んでもらおうとするなんて、甘いし、第一身勝手すぎる。が、私の方にも来夏まで待ちきれないようなチョイとした事情があるので、ここから先は好奇心旺盛にして心優しい読者にのみお読みいただく。(ま、そう大袈裟に言いなさるな、と誰かの声)。
 
  1976年4月、私はやる気満々でアルジェリアの首都アルジェに赴任した。それ以前に事務所開設の可能性調査で現地へ来ていたし、言葉の面でも他の仏語国で仕事した経験があったので、子供達の教育以外大きな不安はなかった。この年8月27日(金)アルジェリア政府は、それまでの日曜に代えて以後金曜を休日にすると発表、即日実施した。この日はまた、この年のラマダン(断食月)が始まった日であった。ラマダンは9月26日まで続いた。私達は大いに驚き慌てたが、これがアラブの国なんだ、とも思った。急いで本社などにテレタイプで報告し、これからはライフスタイルも変わるな、と覚悟した。
 
  翌1977年には、日本人会他の苦労の末、日本人学校が開校、4月23日に授業が始まった。10月には JAL 機ハイジャック事件とサマータイム採用(GMTプラス1へ)が相次ぐなど、この年は公私共に多事な中で、ラマダンは8月16日に始まった。以上から、ラマダン初日の8月27日と8月16日の二つの日付、ならびに1977年という年にご注目願えるならば話は早い。
 
☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆
 




  朝食を意味する英語 breakfast は本来「断食をやめる」 の意であり、意味合いは異なるが日本でも昔から 「茶断ち」 などが行われた。ラマダンはそれをうんと大掛かりにしたようなもの、と言えば不謹慎だろうか。ともあれ、イスラム教の信仰生活の中心とされる六信五行の一つなのだ。さらに、マホメット暦とも呼ばれる太陰暦がアルジェリアでは太陽暦と併用されており、1年は 354日か 355日なので、太陽暦に当てはめると断食月は毎年10日間ほど早まってゆくのである。そして、同じ季節に戻るのに 33年を要すると広く言われている。で、ほかでもない1977年から 33年経った今年、敬虔な信徒は文字通り暑い真っ盛りのひと月間、日の出から日没まで食事もせず水も飲まなかったのである。私は断食こそしなかったが、アルジェリア人の前では極力禁煙した。立派な口髭の運転手Kは、ラマダンがさほど苦にならなかったようだし、驚くほど喜捨の心にあふれていた。「金持ちになればなるほど、盗まれたり騙し取られたりの心配が大きくなる」と常々言っていた。
 
  一日の仕事を終えると、アパートがさほど遠くない私は急な石段と坂道を歩いて帰宅することも少なくなかった。夏のたそがれ時は涼しく、羊肉料理の匂いが漂い、にぎやかに食器を並べる音が反響した。街一番の大通りも車の数はうんと減った。日が暮れてから帰宅する時は、話し声にあふれたもっと賑やかな食卓がどの家庭でもくり広げられていた。やがて腹ごなしとだべりながらの夕涼みに街にくり出す人々も少なくない。私は、ラマダンの精神や社会性を論ずることはさておき、33年が一回りした今はただひたすら、情緒いっぱい当時の思い出に浸っている。
 
( 2010/10/20 )

戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送