第41話 : エッセイ
2010/6/28

リトミック


   梅雨空の一日、孫が通う学校の運動会見物に出かけた。応援もするので黄色い服で来てね、と娘からその3日ほど前にメールが入った。キリスト教系の女子校である。中学と高校合わせて1200人をこす生徒が代々木第一体育館に集い、女性らしさを垣間見せながらも力と技を競った。1年生は服・鉢巻その他を赤色に、2年生は青に、そして3年生は黄に統一されている。尤も中学生は別のやり方でこの3色に区分されたようだ。色対抗なので、ほとんどが父兄で占められた応援・見物席もそれぞれの娘の学年の色に合わせた服装とウチワで、色別に巨大なグループの山腹状になっている。
  東京オリンピックが行われた場所である。デカ! ヒロ! タカ! そこに女生徒たちの歓声が甲高くこだまする。応援席からの歓声も、女性が圧倒的に多いので必然的に甲高い。孫娘は高3だから、こちら応援席の娘と私は黄色の中にいる。まわりの歓声はいやが上にも黄色くなる。持参した弁当も皆がするようにそこで食べたので、ぶっ続けに6時間ほど黄色い声に包まれていたことになる。
  印象に残った数点を書き残しておきたくて、ポメラの小さなキーボードを叩いている。先ずは開会式から。讃美歌・聖書朗読・祈祷からなる礼拝がすべてに先立つ。私は、競技場で走る者に関する文章がコリント人への手紙にあるなどとは露知らず、大いに驚いた。あと、校長による開会の言葉、優勝杯返還、宣誓があって運動会は第二部の競技に入った。ついでに記しておくが、昼の時間、食前感謝の言葉が述べられると、場内はしばし非日常の厳粛な気分に浸された。これぞ私学の良さ、である。
  次に印象的だったのは生徒が務める審判員のこと。総じてこの学校では規律が重んじれらていると前々から感じていたが、右に左に走り回ることの多い審判員はどうやら絶対的な権威を与えられているらしく、文句を言う者は一人も見かけなかった。ふっと、昔読んだ岩波新書の 「自由と規律」 (池田潔著) を思い出した。ところで、ふだんから表情に乏しいわが孫娘は二三の競技で審判員の一員もつとめたが、無表情なところがかえって審判員向きだったかもしれない。それにしても、綱引きはフライングが多すぎて、いささか興醒めだった。
  大玉ころがしは、失礼ながらフンコロガシに見えて実におかしかった。そう、中1の生徒はほんとに可愛い! そうこうしているうちに短距離走やホームルームリレーなどとプログラムは進み、中3によるリトミックがアナウンスされた。どこかで見た看板以上は何も知らない私は、固唾をのんで待ち受けた。
  二人ずつ、手をつなぐようにして入場してきた生徒は、場内に四つほどの大きな輪を作った。初めは音楽に合わせて両腕を動かすだけだったが、やがて左右で動きのリズムが異なるようになった! 例えば右4拍子、左3拍子といったぐあいに。ほどなく両足の動きも加わり、複雑な動きをしながら彼女達の「円舞」は回った。音楽の心地好さに支えられ、そんな動きは私にはバレエに見えた。
  その後、本やインターネットで少し調べたところ、律動法と訳されているリトミックは、スイスの作曲家ジャック・ダルクローズを創始者とし、リズムに基礎を置く教育法の一つだそうである。プチ・ラルースでは、脳からの指令と体の動きを調和させることを目的とする筋肉の教育法、とある。孫の学校では何年生からこれを教えているのか、どんなふうにかなど、まだ孫から聞いていないが、とにかく、この運動会で私の心を一番強く掴んだものがリトミックであったことは間違いない。
( 2010/06/28 )       

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