第36話 : エッセイ/創作
2010/1/21

穴石くんと出会った
   珍しく晩秋の鎌倉に一泊した翌朝、材木座海岸の波打ち際で穴石くんと出会った。写真を撮られるのが大嫌いだというのを拝み倒して1枚だけ撮らせてもらった。なるほど、あばた面というのか、色白の顔面に十個ほどあるあばたは、くぼみというよりはもはや穴である。じろじろ見られるのはさぞかし嫌だろう。
   穴石くんは片言の日本語が出来る。昔、南方に住んでいた頃覚えたという。が、話し相手もないまま何年もかかって日本へ辿り着いたので、あらかた忘れてしまったらしい。ぼくと出会って、久しぶりにしゃべれるのがよほど嬉しいらしく、名前を忘れたのなら穴石くんと呼んでもいいかいと失礼きわまる言い方をしたぼくに、目を三角にするどころか大きくうなずいたのだった。




   穴石くんは人間ではない。人語を解するが、手足はない。波にゆられて移動するので、あてどのない旅を続けている。10本ほどある穴で空気や海水から養分を摂る。同時に、ひとつひとつの穴は各国の言葉をしゃべり・聞くので、おそるべし、およそ10カ国語に通じているわけだ。今日は、会話の楽しさをもらったお礼にと穴石くんが披露してくれた話を、下にざっと書いてみよう。
   
             ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪
 
   赤道からまだ南の、真っ白な砂浜が続く島にいたことがある。島のほぼ中央に高い高い山があって、頂上はいつも雲にかくれていて見えない。一体、頂上はどうなっているのか、何があるのか、誰も知らない。というのも、これまで登ろうとして出掛けて行った者で誰一人帰って来た者はいないからだ。そこは天国みたいで、暑くもなし寒くもなし、空気はかすかにバラの香りがしている、人々はみな陽気に仲良く暮らしていて、争いごとが起こったことは今まで一度もない ・・・・ 麓の村ではそんなことも言われていたが、しょせん伝説にすぎなかった。しかし、山へのあこがれはそれほど強かったのだ。
   風船に手紙を結びつけて何十も飛ばしたが失敗に終わったころから、村人たちの間で、こうなったら山が低くなるよう皆で念ずるほかあるまい、ということになり、朝夕の祈りが続いた。数年たって村人たちは、海岸線が目に見えぬほどゆっくりと島の中へ向かって昇ってくるのに気付いた。私はそのころ、ふとしたことで潮に流されて島を離れたため、島がそれからどうなったか知らない。
 
            ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪
 
   浅田次郎曰く:
「小説はうそ話。うそつきの仕事。エッセイストは心に映るよしなしごとを書くのだから正直者でなきゃだめ。うそつきの僕には難しい。使うエネルギーが3倍くらい違うよ」
 
      ( 2010/01/20 ) 
 
 
 
 
   

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