第28話 : エッセイ
2009/6/11

ラジオ体操のことなど
 
「ねえねえ、ラジオ体操の話、聞いてもらえる?」
「・・・・」 (またくっだらない話かあ。でも、ほかにすることもないから、いいや、首をたてに振っとこ)
 
勤め口のあてもないまま商社を飛び出した私を拾ってくれたのは、水産会社だった。それは53歳の時のことで、契約社員つまり常勤の嘱託となった。そこで次々と出くわした社風・社員気質・習慣などの違いに驚いたり感心したりあきれたりした中に、始業前のラジオ体操があった。定時になると社内スピーカーからラジオ体操第一が流れ、私達はデスクのかたまりとかたまりの間に立ち、窓の方を向いて体操した。大部屋式である。窓越しに、百メートルほどさきのビルの屋上で体操する人達が見えることもあった。健康重視のあらわれには違いないが、「このとしになって毎朝ラジオ体操とは・・・」 と思ったのも事実である。しかし、体を動かすのは正直心地良い。ただ、私と同様の立場にいたS先輩は、アメリカ暮らしが長かったことと関係があるのかないのか、「体操すると疲れちゃうから・・・」と言ってデスクに英字新聞を広げたりなんかしていた。巨躯のそのSさんは、その後悠々自適を楽しみつつ昨年他界されたと知った。−−ながらく続いたに違いないこのラジオ体操も、結局、今から十余年前打ち止めになった(筈である)。だから、今は昔の話である。
 
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ついでだからラジオ体操についてちょっと調べてみたところ、1928年(昭和3年)11月1日、NHK が保健体操として放送を開始したらしい。同じ年の7月にはアムステルダム五輪が開催されている。蛇足ながら、「体操音楽」みたいなものが外国にあるかと言えば、一例としてチェコの作曲家ヤナーチェクに「体操訓練のための音楽1〜5」というのがあるそうな。


ところで、私は以前から、自分が美声に弱いと思っている。ことにきれいな女声を聞くと、美人・佳人に違いないと独り決めしてしまう。聴覚からの魅力は、視覚が無関係となる時、いっそう増幅されるらしい。深夜から払暁にかけてのラジオ番組はなが年の親友みたいなものだが、あこがれの女性アナ(その後ディレクター)に葉書を出し、返事をもらったこともある。突然こんなことを言い出したのは、ほかでもない、もう1年以上も前の話になるが、ある朝突然、なんとも言えないユニークな若々しい声の持ち主がラジオ体操で号令するのを聞いたからである。今でもまれに耳にすることがあるが、容姿を確かめようとしてテレビ体操に切り換えようとは思わない。どだい、ラジオとテレビの両者がどういう風に運営されているのかを調べてみたこともない。ついでに白状すれば、早朝のNHKラジオで耳にする気象予報士のSさんの声と語り口も素晴らしい。惚れ惚れし、ぞくぞくする。
 
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そういえば、岩波の「図書」に中井久夫という精神医学者が今月まで連載していた傑作「私の日本語雑記」(その十六)に以下の文章がある。
  「(略) 曽祖父は、曾祖母の声に惚れて通いつめて結婚した。(略) 周知のごとく、容 
  貌は移ろうが声は数十年を隔ててもそのままである。声は変らない一種の容貌である。指紋である。」
わが意を得たり、と言えばちょっとヘンか?
 
 
ラジオの効用と魅力を語って永六輔は倦むことがないが、全くそう思う。話はラジオ体操どころではないので、今後折りを見て私なりに考え考え何回も書きたい気がする。折りしもNHKラジオは 「ミミ友」 なる新語を広め始めた。
 
         ( 2009/05/08 )
 

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